第6話
ロコ・モーション
東海岸のドラマー
バディー・ソルツマン


★ロコ・モーション

アメリカのヒット曲の多くは、東海岸のニューヨークと西海岸ロサンゼルスで作られていました。それぞれの地区にはレコーディング要員として多くの当時は無名のセッション・ミュージシャンがいました。その中で、ニューヨークで50年代後半から活動していたセッション・ドラマーにバディー・ソルツマン Buddy Saltzman がいました。1962年に発売されたリトル・エヴァの「ロコ・モーション」は全米1位の大ヒットになりました。

♪The Loco-Motion - Little Eva

(日本盤シングルのジャケット)

★独自のスタイルが始まる

「シェリー」などのヒット曲をもつフォー・シーズンズは、フィリップス・レコードに移籍するにあたり、スタイルを大きく変えた「悲しき朝やけ」を1964年1月に発表しました。ポイントの一つがドラムスの使い方で、そのドラマーがバディー・ソルツマンでした。

♪Dawn (Go Away) - The Four Seasons

(日本盤シングルのジャケット)

この曲以降のバディーの演素スタイルには2点の特徴があります。一つは「おかず」の派手さです。特に、タム・タムとバス・タムを多用した流れるようなフレーズは印象的で、多のセッション・ドラマーとは大きく異なります。
もう一つは、シンバルの「バッシャーン」を決してやらないことです。一般のドラマーはアクセントを付けるため、要所要所で「バッシャーン」をやることがよくありますが、バディーはやりませんでした。

この後も続くフォー・シーズンズのヒット以外で、このスタイルの代表作が1964年12月に発売されたレスリー・ゴーアの「ルック・オブ・ラブ」です。

♪Look Of Love - Lesley Gore

(日本盤シングルのジャケット)

★様々な作品に参加

サイモンとガーファンクルの「サウンド・オブ・サイレンス」は、元々生ギターだけのシンプルな伴奏であったアルバム・バージョンに、ベースやドラムス等を重ねて1965年9月にシングルとして発売されました。その時のドラマーがバディー・ソルツマンでした。

♪The Sound Of Silence - Simon And Garfunkel


(日本盤シングルのジャケット)

その後も多くのセッションに参加しますが、1969年に全米1位になったアーチーズの「シュガー・シュガー」です。

♪Sugar Sugar - The Archies

(日本盤シングルのジャケット)

「マイ・ウェイ」はシャンソンであった元曲に、ポール・アンカが独自の英語詞を付け1969年3月にフランク・シナトラが出したのが、世界的ヒットの始まりです。この録音にバディー・ソルツマンも参加しています。

♪My Way - Frank Sinatra

(日本盤シングルのジャケット)

確証はありませんが、1967年にフォー・シーズンズが出し、全米9位になった「カモン・マリアンヌ」もバディー・ソルツマンのドラムスではないかと考えています。

♪C'mon Marianne - The Four Seasons

(日本盤シングルのジャケット)






(バディー・ソルツマン)