第5話
アイム・ノット・イン・ラブ
松田聖子もカバー

★1975年に10CCが発表

10CC(テン・シー・シー)は、マンチェスター出身で1960年代に活動していたで4人で、1972年に結成されました。

「アイム・ノット・イン・ラブ」は元々は1975年3月に発売されたLP"The OrginalSoundtrack"の中の1曲でした。演奏時間が約6分と言うことで、シングルカットの予定はありませんでしたが、結局、ラジオ放送向けに約3分40秒に短縮して同年5月にリリ−スされ、全英1位、全米2位の大ヒットになりました。

♪I'm Not In Love - 10CC

(日本盤シングルのジャケット)

多数のカバー盤が出ましたが、日本でも松田聖子が2024年に発売する"Jazz3"にこの曲が集録されます。

秀逸な選曲は、時代を超えて松田聖子が愛した楽曲たち


(10CC)

10CCのオリジナル・メンバーは写真前列左から
ロル・クレーム Lol Creme
ケヴィン・ゴドレイ Kevin Godley
エリック・スチュアート Eric Stewart
後列中央
グレアム・グールドマン Graham Gouldman

「アイム・ノット・イン・ラブ」はエリック・スチュアートとグレアム・グールドマンの合作です。歌詞はほぼエリックが書き、メロディーは二人の共作です。メインボーカルもエリックです。今回はグレアム・グールドマンの歩みを紹介します。

★「フォー・ユア・ラヴ」

1946年にランカシャーで生まれ。1963年からマンチェスターでバンド活動を始めました。1964年にThe Whirlwindsを結成し、HMVレコードからシングルを1枚だしましたが、年末には解散し、翌年2月には新たにモッキンバーズを結成し。今回はColumbiaレコードと契約しました。グレアムはデビュー曲として自らが作った「フォー・ユア・ラヴ」を提案しましたが却下され、代わりに"That's How (It's Gonna Stay)"を出しましたが、全くヒットしませんでした。

♪That's How (It's Gonna Stay) - The Mockingbirds

(イギリス盤シングルのレーベル)

ところが、Columbiaレコードはモッキンバーズに対しては没にした「フォー・ユア・ラヴ」を、同じColumbiaのヤードバーズの3枚目のシングルとして翌1965年3月に発売し、全英3位、全米6位の大ヒットとなりました。

♪For Your Love - The Yardbirds

(日本盤シングルのジャケット)

モッキンバーズは計5枚のシングルを作りましたが全くヒットしませんでした。仮にモッキンバーズが「フォー・ユア・ラヴ」を出していたら、彼らの方がスターになっていたかも知れません。一方、それまでくすぶっていたヤードバーズはこの曲で大ブレイクしましたが、本来ブルース・バンドであったのに、このような軟弱な曲を出したのに嫌気がさしてエリック・クラプトンが脱退しジェフ・ベックが加入し、大きく運命が変わりました。  

★ヒット曲を書き続ける

ヤードバーズの次の曲「ハートせつなく」もグレアムの作で、またまた全米2位、全米9位の大ヒットになりました。

♪Heart Full Of Soul - The Yardbirds

(日本盤シングルのジャケット)

次のヤードバーズのシングルもグレアムの作品"Evil Heated You"で、全英3位ででした。

第2話で紹介したように「バス・ストップ」をホリーズに譲ったハーマンズ・ハーンミッツですが、実は前年の1965年7月16日にグレアムの作品「リッスン・ピープル」の録音をしていました。アメリカでは翌1966年2月に発売し全米3位となり、日本でも大ヒットしました。イギリスでは代わりに"You Won't Be Leaving"が発売され、「リッスン・ピープル」はそのB面になりましたので全くヒットしませんでした。

♪Listen People - Herman's Hermits

(日本盤シングルのジャケット)

★エリックとグレアム

やがてグレアムは、同じマンチェスター出身のエリック・スチュアートのバンドであるマインドベンダーズに加入します。加入は1968年3月ですが、それ以前に"Schoolgirl"を提供していました。1967年11月17日に発売されたましたがヒットはしませんでした。

♪Schoolgirl - The Mindbenders

(イギリス盤シングルのレーベル)

せっかく入ったマインドベンダーズでしたが、わずか5ヵ月に解散してしまいます。その後グレアムはエリックらと様々な活動をした後、1972年にマンチェスター仲間4人で10CCを結成します。