第3話
夜霧のしのび逢い
映画は曲と何の関係もなかった
(別名、一人ぼっちの浜辺)

★原題は"La Playa"、
「浜辺」の意味

作曲はベルギーを中心に活動していたロス・マヤス Los Mayas のリーダーのジョー・ヴァン・ウエッターで、本国では1964年3月にPaletteレコードからシングルで発売されました。ただ、この曲にかぎり The Maya's 名義でした。フランスでは Los Mayas 名義でEPとして発売されましたが、1963年となっていて疑問が残ります。

♪La Playa - Los Mayas

(ベルギー盤シングルのジャケット)


(フランス盤EPのジャケット)

★邦題は「一人ぼっちの浜辺」

日本でも、1965年には、Paletteレコード原盤のでロス・マヤスの演奏が「一人ぼっちの浜辺」として発売されました


(日本盤ロス・マヤスのジャケット)

★邦題が「夜霧のしのび逢い」に

既に1964年にフランスで発売されていたクロード・チアリによるカバー盤が、1965年に日本でも発売されたが、題が「夜霧のしのび逢い」に変わり、しかも、映画『夜霧のしのび逢い』サウンド・トラックと表記されました。

♪La Playa - Claude Ciari

(日本盤クロード・チアリのジャケット)

この映画は1963年に製作されたギリシャ映画で、英語タイトルを"The Red Lanterns"と言い、"La Playa"とは何の関係もありませんでした。ところが、クロード・チアリ盤の発売元である東芝音楽工業の高嶋弘之氏(高嶋忠夫の実兄で、高嶋ちさ子の実父)と映画の配給元である日本ヘラルド映画の担当者が相談し、日本独自に"La Playa"を映画のタイトルバック等に使用し、曲の邦題も映画と同じ「夜霧のしのび逢い」として、あたかも正規のサウンド・トラック盤であるかの様に装う事にし、レコードは8月に、映画は11月に公開された。このことは高嶋氏の著書『ヒットチャートの魔術師 レコード・ビジネスの世界』に書かれています。

★邦題を統一

(ロス・マヤスの2代目ジャケット)

映画公開後はロス・マヤス盤を初め、全て「夜霧のしのび逢い」に統一されました。当時はサウンド・トラック盤とうたう事はとても有利でした。

★歌詞の付いたボーカル盤も

♪La Playa - Marie Laforet

(日本盤マリー・ラフォレのジャケット)

日本語の歌詞によるカバーも出ました

♪夜霧のしのび逢い - 越路吹雪

(越路吹雪盤モフジャケット)

★「マンチェスターとリバプール」

ところで、マリー・ラフォレ本来は1960年に『太陽がいっぱい』でデビューした映画女優ですが、シャンソン歌手として日本でも多数の作品を発表しています。

♪Manchester Et Liverpool - Marie Laforet

(マリー・ラフォレ盤のジャケット)

作曲は、「恋は水色」で知られるアンドレ・ポップ Andre Popp で、マリー盤のアレンジも担当しています。ところで、日本ではマリー盤も少しヒットしましたが、実は大ヒットしたのは英語の歌詞をつけたピンキーとフエラス盤でした。

♪Manchester & Liverpool - Pink & The Fellas

(ピンキーとフエラス盤のジャケット)

奇妙なことに、海外でも日本でも英語名は Pink & The Fellas なのですが、日本語表記は"フェラス"と書かれています。実際にはラジオでも雑誌でも「ピンキーとフエラス」と呼ばれ、単に「フエラス」湯と言われることはありませんでした。当時、人気上昇中だった歌謡曲の「ピンキーとキラーズ」と何か関係があるのでしょうか。
余談ですが、この曲は広く流行ったので、団塊の世代近くの人に「マンチェスターと」と振ると、つい「リバプール」と続けてしまい、年がバレます。